朝5時、ふと目が覚めて、何気なくスマホの電源を入れる。たまたまYahooのアイコンをタッチしてしまいました。そこに飛び込んできたのは
市川團十郎死去
暗い部屋の中、じっとスマホの画面を見て確認してみる。何度見ても、変わらない文字。團十郎が死んだ。
南座の顔見世を途中で休演し、私が観に行ったときには翫雀が代役を勤めていました。まあ、すぐに復活するだろうと思っていたのにもかかわらずこの訃報。ショックが大きすぎて、下痢が止まりませんでした。
惜しいとか、残念とか、色々な感情が溢れてきますが、一番強く思ったのは。「もっと観たかった」ということです。「助六」、「勧進帳」、「暫」…荒事をもっとこの優で観たかった。それが正直な気持ちです。
デッカイ役者でした。19歳で父・十一代目團十郎を失い、怖い怖い叔父、二代目尾上松緑に怒られて怒られて修業した青年時代。大きな愛情ゆえに厳しかった松緑。團十郎襲名のコメントに、「襲名が近いのに芸の力が上がっていない」と辛いことを言われたこともありながら、歯を食いしばって一歩づつ、階段を上ってこられました。
初めて團十郎を観たのは、平成14年7月の大阪松竹座。四代目尾上松緑襲名の「蘭平物狂」でした。その後は、私が東京に転居したこともあり、様々な舞台を観ることができました。
目に残っているのは、平成14年12月の南座顔見世での「勧進帳」の弁慶、平成22年4月の歌舞伎座での「助六」の助六でした。大らかな芸、今でも鮮やかに思い出します。
その、成田屋がこの世を去った。歌舞伎座開場を目前に控えての退場、本人が一番悔しいでしょう。
勘三郎に続いて團十郎までも…。残念、残念という言葉以外に、表現することができません…。